穐月明「仏伝図」/仏教の立場を釈迦の生涯に託す

美術館登り口の侘助

美術館登り口の侘助

茶室の影

茶室の木洩れ日

秋の企画展も12月24日まで、紅葉も終わりましたが、美しい場面はあちこちにあります。例えば咲きはじめた侘助椿、例えば木洩れ日。この美術館は個人的に「木洩れ日の美術館」と呼んでいました。

今回は仏伝」を紹介したいと思います。

歴史的に釈迦は実在したようですが、生涯はほとんど分かっていません。釈迦の生涯の物語として伝わる「仏伝は」後から作られたお話です。経典のあちこちに残るエピソードや別の話の伝説をつなげていったようです。
しかしその中には仏教の立場や、考え方が散りばめられ仏教の基本を考えるには良いお話です。これはたくさんあるエピソードの中から穐月明自身が描いた八っの場面(八相図)です。

1、出胎

1、出胎

1,神より偉大な人物の誕生

釈迦は母親の右脇から産まれ7歩歩んで「天上天下唯我独尊」と言ったことになっています。「天より我は尊い」これは神をも救う真理を説く人物の誕生を表しています。
後に仏教にはたくさんの神が入信することになっているのですが、それは釈迦の力によってではなく説かれた真理に賛同してです。ちなみに「天上天下唯我独尊」は別のブッダのセリフを仏伝に取り入れたと言われています。

2、四門出遊

2、四門出遊

2,老・病・死、避けられない不安と出家の道

釈迦は小国とは言え王子で結婚もし子供もあり何不自由の無い生活を送っています。しかしある時、城の東西南北の門から出ると老人と病人と死人に会い人の避けられない不安に出会います。そして最後の門で修行者に出会います。仏教でも「老病死」から逃れることは出来ません。しかし、その不安からは逃れることが出来るのです。其れが修行者の道です。

3、剃髪

3、剃髪

3,出家=家族も財産も地位も名誉も全て捨て去る

釈迦はついに城からこっそり抜け出し髪を切りボロを纏って修行者の姿となり、当時有名だった行者の所に教えを請いに行きます。これは、地位も名誉も財産も妻も子供も捨てると言うことです。そういった所有帰属関係は心の平安には役に立たないしかえって邪魔になると言うことです。それと、人はしばしば自殺を考えるほど追い詰められることがありますが、逃げ出しても良いのだよ、釈迦だって逃げ出したのだからと言うメッセージのように思います。

4、苦行

4、苦行

4,苦行は無駄

色々な行者の所で教えを請うた釈迦ですが、どれも求める物ではありませんでした。そこで自ら厳しい苦行に入ります。断食、息を止めるは言うに及ばず、ありとあらゆる苦行を試しますが体が衰弱するだけで何の成果も得られません。6年間で苦行は無駄と悟り山を下ります。
苦しい思いをすればそれだけの物を得られると思いたいですが、其れは危険な思い込みです。

5、正覚

5、正覚

5,中道=最も適切な方法は狭き道

苦行を止め山を下りた釈迦はスジャータという娘から乳粥をもらい元気を回復します。そして菩提樹の下に草刈り人からもらった草を敷き悟りを得るための瞑想に入ります。
正しい道は正しい方法を最適値でおこなわねばなりません。其れを中道と言います。
何事によらず一流と言われる人は其れを心得ています。

6、降魔成道

6、降魔成道

6,心への攻撃を祓い、全ての執着から自由になる

釈迦が悟に到る瞑想に入ると魔王が邪魔をしてきます。仏陀となられては困るからです。甘言を弄し、女性で誘惑し、軍団で脅しますが釈迦を直接手には掛けません。心への攻撃なのです。それらをすべて退けすべての執着から自由になった釈迦は悟りを得、目覚めた人「仏陀」となります。
仏教はあくまで心を救う方法です。座禅を組み執着を捨て去る修行は今も続けられています。

7、転法輪

7、転法輪

7,教団の経営(布教)・何人も入れるが全て捨てる・在家には現世利益

釈迦は自ら悟ったことを説法しながら亡くなるまで一修行者として旅を続けます。その中で釈迦の教団は形成されていったようです。
釈迦の教団は男女も貴賤も王も罪人も神々も分け隔て無く受け入れました。その代わり托鉢の鉢と衣服のためのぼろ布以外は持つことは許されず、信者の布施のみで森で修行しました。一方信者には修行者に布施することで現世利益を説きました。

8、涅槃

8、涅槃

8,諸行無常=仏陀も例外では無い。苦からの解放

釈迦は説法の旅の中、二本並んだ沙羅の木の下に横たわり80歳で亡くなります。修行を完成させた釈迦は繰り返す輪廻=苦しみから解放されます。ですから釈迦の死は涅槃と呼ばれます。
釈迦最後の説法は「私がいなくともわたしが説いた教えと戒律とがお前たちの師となる。もろもろの事象は過ぎ去るもの、おこたることなく修行を完成しなさい(仏陀最後の旅)」と言い残します。全てのものは変わりゆく、それは仏陀であっても例外で無いことを表しています。

◎釈迦の主張を要約すると

「人の心の苦しみを除くには欲望(貪欲)、怒り(瞋恚)、真理を見失うこと(愚痴)を除けばよい。その為には全てはむなしいものであり執着するべきものは何もないことを悟りなさい」と言うことかと思います。

欲望は満足させるとちょっと嬉しくなりますが大きな欲望でも小さな欲望でも喜びは大して変わりはありません、小さい方が面倒も少ないのです。怒りは相手ではなく自分を苦しめます。その二つを満足させることが幸せだと思っているとしたら其れこそ不孝です。そして、それらは色んな物への執着から来ています。でも手放しても無くなるわけではありません。