元々10月に伊賀観光協会の企画「いがぶら」の一環として企画されていた「館長さんと巡るまちかど博物館ツアーin青山」なのですが、台風が来てしまい11月11日に単独で開催されました。ちなみに館長さんとは私のことらしいので私が案内しました。
阿保は辺境の町ですが、このコースは文学有り、歴史有り、文化財有り、美術有り、最後に当館の紅葉が見られます。

イロハカエデの紅葉

イロハカエデの紅葉

【コース】
青山町駅(集合)→菅笠日記の碑→初瀬街道の一里塚→旧阿保宿町並み→初瀬街道交流の館「たわらや」→息速別命墓(いこはやわけのみこと)→阿保頓宮跡→おせいき地蔵→大村神社→靑山讃頌舎・美術館→青山町駅(解散)

菅笠日記の碑
本居宣長が松坂から吉野に花見に行ったとき阿保で川を渡りました。その時の旅行記「菅笠日記」の碑です。本居宣長は歴史上とても影響のあった人です。国文学の基礎を築きいまでも業績は教科書に出てきます。国学の基礎を築き後に尊皇攘夷に発展し明治維新、大東亜戦争へと繋がっていきます。しかし本人は医者をしながら今でも通用する緻密な研究をしたまじめな学者でした。

菅笠日記の碑

菅笠日記の碑

初瀬街道の一里塚
江戸幕府により全国の主要道に設置された一里ごとに目印とした塚です。道の両側に直径10mくらいの塚を作り,木を植えて休息出来るようにしました。ここは今でも少し高くなって祠があります。

一里塚

一里塚

阿保宿・初瀬街道交流の館「たわらや」
阿保宿は江戸時代から続く「町」です。御茶屋(本陣)、問屋(物資・通信の中継所)を備え藩から商業が許可されていました。そして伊勢参りでたいへん賑わいました。
「たわらや」は旅籠を改修し街道遺産である参宮講看板を保存・展示しています。
江戸時代旅行は役所の許可が要ったのですが伊勢参りはほぼ無条件で許されました。庶民は「講」を作りお金を出し合って一生に一度の旅行を楽しんだようです。その「講」で泊まる定宿には講名を記した板の看板を置き、定宿契約のしるしとしたのです。

初瀬街道交流の館 たわらや

初瀬街道交流の館 たわらや

大常夜灯
初瀬街道最大級の常夜灯です。伊勢参りには全国から年間40万人、「おかげまいり」の時には約500万人の参宮客があったそうです。常夜灯は各地から寄進されました。

大常夜灯

大常夜灯

息速別命墓(いこはやわけのみこと)
宮内省管轄の御陵です。垂仁天皇王子息速別命をお祀りしています。初代斎宮とされる倭姫命の異母弟でこのあたり一帯の氏族の始祖とされています。こんな所に宮内省管轄の御陵が有ることに先ず驚きます。古墳としては6世紀初めの方墳です。

息速別命墓

息速別命墓

阿保頓宮跡
天皇や斎宮が宿泊した公式の施設「頓宮跡」の側面と伊賀独特の高い四方土塁で囲まれた中世城郭「岸田伯耆城跡」の側面があります。今見える遺跡は中世城郭の物です。伊賀にはこうした小さな城跡が600以上も点在しています。伊賀が領主を頂かない伊賀惣国一揆(住民の自治共和国)の収める国だった事とも関係しているようです。そして伊賀惣国一揆は一度は信長軍を撃退するのです。

阿保頓宮跡

阿保頓宮跡

おせいき地蔵
慈福寺に有るいわゆる男女の石像です。なぜ「おせいき」かは見れば一目瞭然です。横の解説に「元々川原の岩座に祀られていたのが、川の氾濫や改修で此所に女性像だけが祀られていた。其れが8年ぶりに男性像が現れ目出度く合資された」と感動の再会が伝えられていました。こういう古い信仰が残っているのも此所の魅力です。

おせいき地蔵の解説看板

おせいき地蔵の解説看板

大村神社
延喜式神名帳に載る古社でこのあたりの始祖とされる息速別命を祀ります。先の御陵の方です。要石があり地震除災の神様として近年益々お参りが増えました。20年に一度の御造営が済んだばかりでとても綺麗です。
宝殿は天正15年(1587)創建で重要文化財です。宮司さんに本殿・宝殿のすぐ側まで入れてもらい神社の由来や文化財保護のご苦労など伺いました。
他にも日本三大奇鐘「虫食い鐘」と言うのもがあります。

大村神社で宮司さんが案内してくださいました。

大村神社で宮司さんが案内してくださいました。

靑山讃頌舎・美術館
この時当館はちょうどカエデが真っ赤に色づいていました。このあたりでは一番の紅葉かも知れません。是れをお客さんに見て頂けたのが今日一番の収穫でした。来年はもっと多くの方に見て貰えるようにしたいと思います。

茶室の紅葉、茶室から待合を見る。

茶室の紅葉、茶室から待合を見る。

苔の上の散り紅葉

苔の上の散り紅葉