展示解説:十牛図/禅の悟を牛にたとえて
禅宗には十牛図というのがあります。
禅の「悟」を牛にたとえて、修行を初め完成するまでを十段階の絵にしています。
禅において悟とは本来の自分を取り戻すことだそうです。
それには肩書も財産に対しても全てのこだわりを捨てなさいと教えます。
是れは、十牛図の6番目「騎牛」を作品にしたもので、本来の自分を取り戻し家に帰るところです。
でもまだ半分です。
賛は
・牛に騎って遥菰(いり)として家に還らんと欲す、
・蒐笛(きょうてき)声声晩露を送る。
・一拍一歌限り無き意、
・知音(ちいん)は何ぞ必ずしも唇牙(しげ)を鼓(こ)せん。
難しい言葉ばかりですが大体の意味は
・牛の背に乗って悠々と家へ帰ろう。
・吹く笛の音が夕暮れの空に響ている。
・その一音一音に限りない真実が宿っている。
・分かる者には、敢えて説明の必要もないだろう。
では1番〜10番まで見ていきましょう。流れだけを要約しましたので興味のある人は勉強してみてください。絵は明治時代の禅の本からの引用です。
1牛を尋ねる
悟った自分とは本来の自分のことです。それを牛にたとえ、本来の自分を見つけようと思い立ちます。
2足跡を見付ける
経典や師匠の教えによって悟を頭で理解します。でも足跡を見付けたにすぎません。
3牛を見る
修行して実際に牛の姿を見付けます。此のことかと気付いた瞬間でしょうか。
でもまだ見付けただけです。
4牛を得る
牛を捕えねばなりません。
修行を積み悟を自分の物にします。
5牛を牧する
逃げないよう牛を飼い慣らします。
まだ油断すると本来の自分を見失います。
6牛に乗って家に帰る
牛はもう自由に乗りこなせます。
本来の自分を取り戻せば心は自由です。
7牛を忘れ人がいる
家に戻れば牛のことは忘れましょう。
悟も其れにとらわれていては本来の自分ではありません。
8牛も人も共に忘れる
牛を捕らえた事も忘れ何の執着もない。あるがままの自分です。
9本に返り源に還る
しかし無垢な心で見れば、ありのままの美しい世界が見えます。
10手を垂れて店に入る
完全に自分をものにしたら町に出て人々を救済します。菩薩行です。
こうして見ていくと、とてもこんなハイレベルな要求には応えられません。
でも、自分はこうなんだ、と必死で握りしめてる拳の中などボロボロのつまらない名刺が一枚と言った所でしょう。拳を開いて自由になれればとは思います。