9月14日秋の開館・基調講演です

青山讃頌舎・美術館は9月14日から秋の開館です
「絵で観る俳句−穐月明作品で見る俳句の歴史−」

同日基調講演
「文学を紡ぐ芭蕉—文学史上の功績—」
を開催します

講師:芭蕉翁記念館学芸員髙井悠子さん
日時:9月14日(土)14時-15時30分
場所:ハイトピア伊賀5階・多目的大研修室(伊賀市上野丸之内)

「あらたうと青葉若葉の日の光」松尾芭蕉句 マイ・ミトゥーリチ画

松尾芭蕉の名を知らない人はいないでしょう。また「俳句」は多くの人に親しまれ小学校でも習います。当館のある伊賀は芭蕉の生誕地、俳句も盛んで芭蕉は大変大事にされています。
しかし芭蕉が何をしたかを明解に答えられる人は意外と少ないのでは無いでしょうか。


「春雨はいたくな降りそ桜ばな いまぞ見なくに散らまくをしも」万葉集
俳句のルーツは万葉集の短歌にまでさかのぼれます

芭蕉の時代「俳句」という言葉はほとんど使われませんでした。芭蕉の俳句として知られているのは「俳諧の発句」です。「俳諧」とは「俳諧の連歌(連句)」のことで、芭蕉の遥か前、室町時代から庶民に大人気の遊びでした。その最初の句を「発句」と言い単独でも鑑賞されるようになります。


「けふの糧に幸足る汝や寒雀」杉田久女句
久女は俳句雑誌「ホトトギス」を代表する女性俳人です

「俳諧の発句」を「俳諧の連歌」から独立させ「俳句」としたのは明治時代の正岡子規でした。子規は「俳句」を短詩形文学として文学の中に位置付けましたが、「俳句」と「俳諧の発句」を別の物とは考えなかったようです。ですから「俳句」は芭蕉までたどれるのです。
では芭蕉は何をした人なのでしょう。
芭蕉は間違いなく最も偉大な俳人と言って良いでしょうし、芭蕉の前と後で「俳句」は大きく変わります。その辺の処を今回の基調講演で髙井先生にお話頂けると思います。是非聞きに来て下さい。