近郊案内/柏尾の集落
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先日当館の直ぐ近くの集落、柏尾を案内して頂き大変面白かったです。
柏尾で有名なのは現在東京国立博物館に所蔵されている1mを超える大型の銅鐸が出土したことです。銅鐸は弥生時代の祭器で内側に舌が付いていてベルのようにならすのですが、この大きさだと飾っただけだろうと言われています。いずれにせよめったに出土するような物ではありません。
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これだけの大きさの銅鐸が山奥と言っても良いような村から出てきた事に柏尾の人も戸惑って居られるようでした。しかし、これが出てくると言うことは近くで祭祀が行われたと言うことであり、それなりの規模と技術をもった集落だったと思えます。土地の方に聞くと柏尾は土地が高く水害の危険性(木津川流域で氾濫しやすい)が少なくなおかつ安定した水源(柏尾川)が確保できる安全な集落なのだそうです。
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此の辺りは伊賀市に合併される前は青山町と呼ばれ、江戸時代には初瀬街道阿保宿を中心に阿保、別府、羽根、岡田、柏尾の村々が集まっていました。
とても古い土地らしく続日本紀にも阿保氏のことが出てきますし、聖武天皇の東国行幸や伊勢斎宮の頓宮が有ったとされます。また、近くの遺跡を見ると美旗古墳群と関係が深いと見られる城之腰遺跡や古墳群も多くあります。ひょっとすると此の辺りの中心は柏尾で阿保氏の祖先が住んでいたのでしょうか。色々想像が広がってしましますが今の村落の印象よりずっと重要地域だったようです。
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伊賀で先の戦争で燃えてしまったと言えば第二次世界大戦ではなく天正伊賀の乱の事です。
この柏尾も天正伊賀の乱では敵の大将織田信雄軍と戦った激戦地のようです。実はそういう遺跡も多いのですがまたの機会に。
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