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美の視点ー穐月明の収集古物を紐解くー

伊賀市 ミュージアム青山讃頌舎秋の企画展展

2020.9.11㈮〜12.20㈰ 開館(火曜日休館)
午前10時〜午後4時30分 

薬師寺と瓦
穐月明「薬師寺東塔」と薬師寺の瓦

観覧料一般300円高校生以下無料
伊賀市 ミュージアム青山讃頌舎 〒518-0221三重県伊賀市別府718-3

穐月明の多彩なコレクションを公開

穐月明が独自の美意識と見識を基に集めた多様な古美術を公開いたします。コレクション全体は古画、書、仏像、石造、文学、陶磁器、瓦、鏡、人形など分野も時代も様々ですが、その中でも特に明との関わりの深いもの、特に興味深いものを選び穐月作品と共に展示いたしました。それらは美術品としてだけではなく歴史的にも考古学的にも価値の高いものが多く有ります。様々な分野の方々に色々な角度で見ていただければ、きっと思いがけない驚きや発見があると思います。

金冬心/水墨画家穐月明(あきづきあきら)の原点

明は「金冬心」の画集を見て水墨画に進みますが、大事に所蔵していた書籍の中に『金冬心梅花冊』がありました。裏表紙に手に入れた時の喜びが書き込まれています。
「昭和29年10月16日 穐月明 文華堂にて求む。嬉し。この日由紀子(妻)と大丸に行く。我妻余の為に、仕事着の布と、二十日鼠ひとつがいを買う。今日は良き日なり。余の思い足れり。」
この時25歳、同年美大在学中に結婚しています。とても慎ましやかですが幸せそうです。

これも明所蔵の雑誌『美術雑誌アトリエ・金冬心の書画』ですが、「金冬心」のこういった奔放な画風に影響されたのではないでしょうか。

穐月明「莊子屏風}

 穐月明「莊子屏風」

明の初期の作品「莊子屏風」の人物と文字は明らかに金冬心を意識しています。

『莊子』の「朝三暮四」と「包丁」の話を絵にしたものです。以下漢文のおよその意味です。
【訳文】
朝三暮四
「ある猿使いの者が猿たちに、一日分の木の実を分けるのに猿ひとりあたり「朝は三個,夜には四個にしよう」と言った。それを聞いて,猿たちはみな怒った。そこで猿使いは,「では,朝には四個で夜三個にしよう」と言うと,猿たちは皆歓声を挙げた。木の実の実数は同じなのに猿たちは喜んだり怒いかったりする。とらわれることなく自然に身を任すべきで、成人はよし悪しの分別知を調和させ自然の均衡を保つ。それの境地を「両行」という}

包丁
料理人(包丁)が文恵君のために牛の肉を料理した。その手でさわり,肩を寄せ,足を踏ん張り,膝を立てる動きのたびにサッサッと裂かれる肉片の一つ一つ、ザクザクと切りさばく包丁の一瞬一瞬の動き,それらすべてが渾然として完全なリズムの中にあり,例えれば、(殷の)“桑林の舞楽”、あるいは(堯の)“経首の弦の響き”もかくばかりかと思えるほどであった。
 文恵君は「見事なものだ!」「わざもここまで行きつけるのか」
 料理人は手にした包丁を置いて答えた、「私が求めているのは道でございます、それは単なる技術を超えたものなのです。私が初めて肉牛を扱い始めましたときは,みえるのはその大きなからだばかりでした。仕事に従事して3年経ちますと、牛の大きな体は目にとまらないようになりました。そして今では,私は心で扱っておりまして、目で見て扱っているのではありません。心はひとりでに感覚を離れて働いているのです。
 私の手やからだは天理に動かされて動物の関節や骨や肉の組織の筋道に沿って自在に動くのです。私の刀の刃が肉や筋に当たる(ひっかかる)ことはありませんし大きな骨に当てるなどということもないのです。
 「よい料理人は1年に1度,包丁を新しく取り替えます。といいますのは刃こぼれがくるからです。並の料理人が一月に1度取り替えますのは骨で牛刀を折ってしますからです。私はと申せばこの包丁を使い始めて19年、すでに何千頭もの牛を調理していますが、この刃は砥石で研ぎ立てのように刃こぼれ一つありません。と申しますのも、肉牛の関節であってもかならず隙間がありますし包丁の刃は厚みと言うものがありませんので肉の筋や骨の隙間に滑り込ませればよいのです。実際、刃先を動かせるゆとりというものはいくらでもありますし、ですから私の包丁が19年使っても研ぎ立てのように切れ味鋭く保っている理由なのです。
 「そうは申しますが切りさばくのが難しい骨や筋の固まったところに来るたびその仕事の難しさを見て取り慎重になります。私はじっと目を凝らし、手運びも遅くし。牛の動かし方も微妙に致します。そしてちょうど土くれが地面に崩れ落ちるように肉塊がドサッと離れ落ちるまでていねいに刃さばきをします。それがすむと包丁を抜き取り立ち上がってそこらを見まわし満足し、しばらくたたずみます。それから包丁をよく拭き慎重にしまい込みます」
 「すばらしい!」と文恵君は言った,「君の言葉から,俺は養生(どう人生を生きていけばよいのか)の道を会得した

十牛図/宗派にこだわらない仏教資料

穐月明「十牛図・牧牛」

牧牛
前思(ぜんし)わずかに起これば後念相したがう
覚りによるがゆえに真となり、迷いに在るがゆえに妄となる
境によって有なるにあらず、ただ心によって生ず。
鼻索(びさく)かたく牽いて、疑義を容れざれ

明は仏教をテーマに多くの絵を描いていましたが宗派にはこだわりませんでした。真理を感じられれば讃に使ったよです。禅はよく引用していましたが、これは十牛図です。禅の悟を牛にたとえ悟を自分のものにする過程を10枚の絵にしたものです。
これは5番目「牧牛」、「悟」=「本来の自分」を見つけたのですがまだ自分のものにはできていません。
十牛図の解説はこちらもを覧ください

【訳文】
牛を牧する
一つの疑念が起これば次々思いが起こってくる
本来の自分をしっかり持っていれば真実に至れるが、迷いが起これば真実を見失う
誰かのせい何かのせいで疑念が起こるのではない、自分の心の問題だ
牛の花輪の綱をしっかり持って、ためらわず進みなさい。

仏教経典

・南伝大蔵経(東南アジアで信仰されている上座部仏教の経典)
大般若経(箱の中に600巻の経典が入っています)
この他にも明は様々な仏教経典を持っていました。

瓦と鏡/歴史資料としてのコレクション

春秋戦国時代(B.C.770~220)
・鹿紋瓦当(鹿の文様の瓦)
・細文地鳳文鏡(鳳凰の文様の瓦)
中国春秋戦国時代の鏡と瓦です。老子や孔子といった中国古典に親しんでいた明にとって正に彼らが生きていた時代の瓦や鏡ということになります。

・飛鳥時代(592~710)山田寺単弁蓮華文垂木先瓦
・後漢(25~220)画文帯同向式神獣鏡
単弁蓮華文瓦は朝鮮半島を通じて日本に初めて伝わった瓦の一つです。画文帯神獣鏡は日本の古墳からよく出土する中国鏡です。

明はコレクションを系統だって集めていましたので瓦や鏡も考古資料・歴史資料とし年代順に並べることができます。瓦に至っては採取場所もほとんど書いてあり貴重な資料です。今回、瓦や鏡は歴史が分かるよう最初から江戸時代まで時代順に解説しています。

陶磁器/絵の資料としての器

穐月明「壺の椿」とモデルとした「染付花入」

穐月明「白椿」とモデルの「絵志野大皿」

穐月明「織部皿の桃」とモデルの「織部皿」

作品とそのモデルとした陶磁器も残されおり比較することができます。
かなり貴重な陶磁器も所有していますが絵に描いたは現代作家のものや素朴な器が多かったようです。

書/様々な文化・歴史を伝える書

龍門二十品(六朝楷書)

「龍門二十品」拓本

中国龍門石窟内の造像記(石仏を奉納した経緯を岩に彫った文)のうち特に優れた二十点を龍門二十品と言います。北魏(495~520)の時代に彫られ六朝時代の楷書を今に伝える貴重な資料です。

于右任(草書の達人)

于右任「敬天愛人」

中国清朝を倒した辛亥革命の革命家の一人です。文人で書家としても名高く標準草書としてまとめた書体は簡体字の字形に取り入れられています。今は中国で大変高く評価される于右任ですが、明は台湾でまだ無名だった于右任の書を見て惚れ込み収集を始めました。日本で最初の于右任の発見者・コレクターと言って良いでしょう。

愛新覚羅 溥儀(清朝最後の皇帝)

満州国第一代皇帝溥儀「偉烈純忠」

映画「ラストエンペラー」でも知られる清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀(あいしんかぐらふぎ)の書
「偉烈純忠」偉大な功績と一途な忠義という意味です。
この書は清朝皇帝の座を追われ、日本の傀儡国家満州国の執政に就任していた時代の物です(後に皇帝に就任します)。堂々とした書ですがどのような気持ちで書かれたのでしょうか。
明は他にも天皇の書なども集めていました。


今回の展示は文化人の書や拓本、中国・インドの石造、経典など穐月明作品と関係資料というだけではなく、博物館でしか見ることのできないようなものも多く展示致します。