展示紹介「野の仏・犬」穐月明/犬に開眼供養され給ふ石地蔵
犬は得意げに小便を掛けているのにお地蔵さんはなぜか嬉しそうです。
賛には
「犬に開眼供養され給ふ石地蔵」
江戸の古川柳です。
地蔵菩薩は庶民に最も親しまれた仏で何をしても怒らない仏と思われていたようです。
でももう一つ背景があるようです。
江戸時代に刊行された一休咄に関の地蔵菩薩を一休が小便をかけて開眼供養をしたというお話が有ります。
それで、犬は得意そうな顔をしているのではないでしょうか。
一休咄「関の地蔵を供養なさったこと」
関の地蔵(三重県関市)をはじめて作った時に、人々は寄り合って、「この開眼供養をどのような御僧に頼めば良いだろうか。」と、皆口々に相談していたところ、その中の一人が、「この前京に上った時に、京の人々は、今の時代、紫野の一休にまさる僧はいない、と 言っていた。さて、これほどの地蔵を作って、その辺りの僧に頼むよりは、一休和尚を頼みましょう。」と言えば、皆々はその通りに思って、早々に紫野の一休の元へと急いだ。
ちょうど一休は寺にいらっしゃった。関の者たちは御挨拶をし、地蔵開眼のことをお願いする次第を申し上げた。一休は、「幸い関東旅行に行くので、立ち寄って開眼して差し上げましょう。」とおっしゃって下さった。
関の人々は大変喜んで走り帰って、一休が御下りになるといって、上を下への大騒ぎ、落ちてもいない道の塵を取り、ひたすら平身低頭してお迎えをした。一休は、たった一人、みすぼらしい姿でおいでなさった。
皆々喜び、まず御礼を申し上げた。
一休は、「その地蔵は何処に?」と尋ねれば、いかにも立派な地蔵を作り、供物を供え、花を手向け、厳かな飾り付けをしっかりとしてあった。
さあ、開眼をして下さい、と一休を頼んで、どんなことをするのだろうと、大勢の見物人が押し合いへしあい、背伸びをして見ているところ、一休は地蔵につかつかと走り寄って、その地蔵の頭からざあざあと小便をかけたのは、まるで廬山の滝のようだ。豪華な供物もだめになり、浮いて流れるほど小便をして、一休は、「開眼はこれまで。」と、東を目指して急いだ。
人々はこれを見て、「ああ、なんと勿体ないことでしょう。風変わりな痩せ法師の気狂いを連れてきたものだ。こんな大事な菩薩に小便をかけるとは、何と腹立たしいことだ。このくそ坊主、逃がすな。」と、我も我もと悔しがって、追いかけた。
尼達は、「なんという勿体ないことを・・・。一休坊主めがしたことは。」と罵って、清水を掬ってきてかの地蔵にそそぎかけ、小便を洗い落として、また供物をしなおし、「お許し下さい。」と拝んだ。
しかし、一休を追いかけていた若者が道に倒れ、小便を洗い流した尼達がおののいて、狂乱して口走るのは、「天下の老和尚一休が開眼して下されたのを、どうして洗い落としたのだ。」と罵り、皆々たたりにとりつかれたようになったので、妻子親族は驚いて、「やれ、かの一休和尚を追いかけ、もう一度開眼をお頼みしましょう。」と、我も我もと追いかけたところ、桑名の渡し舟に乗ろうとしたところで追いついた。
先のたたりのことを詳しく一休に話せば、一休は、「それは不憫なことだが、ここから帰るには及ばない。」とおっしゃって、、木綿のふんどしの八百年も経ったような古びたのを取り出し、「これを地蔵の首にくくりつけておけば、たちまち病は治るでしょう。」とおっしゃれば、追いかけていった人々は勿体ないとは思えど、さきの不思議なしるしに恐れて、びくびくしながら貰い受けて、急いで関に帰れば、一休は関東へ急いだ。